徳島唐木仏壇の匠 岡田工芸 岡田正春 「仕事が好きやけんできる。お金やない」その言葉通り、40年間「断る」ということをせずに仏壇をつくり続けてきた。
徳島唐木仏壇

なぜ、徳島仏壇は唐木仏壇の最高峰と言われるのか?

徳島の木工の歴史は遠く天正の戦国時代、軍船の船大工に始まります。
船大工達はやがて時代とともにその技を以って建具や家具を作る木工職人へと姿を変え徳島は家具・鏡台の一大産地となるのです。
仏壇の材料には事欠かず、木工技術の基盤もある。そこに交流が密接だった大阪の
唐木仏壇技術が徳島に伝わり、徳島仏壇の発展の基礎となりました。
徳島メーカーの技術は高く、高級品である唐木仏壇を中心に、その品質は他の追随を許さないものとなったのです。

他の工場ではやらないところまでやる。お客さんの身になり、妥協のない職人の技。

岡田工芸の作る仏壇の最大の特徴、それは「磨き」にあります。
通常、研磨は塗装屋さんがやる仕事で、仏壇屋はしません。
そこを岡田工芸では2台の研磨機を常時稼働させ、加えて手作業での磨きも、
各工程・各部品ごとに行うのです。その小さな積み重ねが、仏壇として
仕上がった時の輝き、深み、高級感につながります。見えないところにまで
込められた職人の挟持、それが岡田工芸の逸品の証なのです。

機械に頼らない。熟練の職人による手作業。機械ではできない加工精度。

岡田工芸の仏壇は全て、熟練の職人による手作業で作られます。
その加工精度はmm以下、機械では到底及ばない職人の眼と手でこそ
なし得るもの。更に、殆どの工程を同じ場所で行っているので細かな
ところまで目が届きより一層の精度となります。その緻密さは
例えば「落とし」と呼ばれる引き出しの内張り一つとっても
ひと度組み入れればもう逆さにしても何をしても抜けないほどです。

岡田工芸の真骨頂 屋久杉唐木仏壇

屋久杉は現在は伐採が禁止されて「土埋木」と呼ばれる倒木のみが取引され、近い将来それも持ち出し禁止となる非常に貴重な木材です。最初は白く、時間が経てば経つほど後から灼けて色が出て深みが出てくる屋久杉の仏壇は、美しく高価なだけでなくその加工も非常に難しく希少です。岡田工芸では独自のルートによりこの貴重な木材を確保しており、それを熟練職人の技で最高品質への仏壇へと仕上げます。

屋久杉唐木仏壇のイメージ1
屋久杉唐木仏壇のイメージ2
屋久杉唐木仏壇のイメージ3

職人全員工場長レベルの技術力 岡田工芸の職人たち

社長 岡田正春

社長 岡田正春

幼少の頃よりものを作ることが好きで、徳島の仏壇制作会社で15歳から修行をはじめ、「勤めている分には自分ではなく他の誰かが考えたものを作るだけ。自分の仏壇を作りたい」という想いより30歳で独立。熟練揃いの岡田工芸の中でも、精密な部分の寸法や角度合わせは岡田にしかできないという。

工場長 岩佐操

岩佐操

職人歴49年。
おおよその寸法と使用する木材を見れば、頭のなかに一台の仏壇全ての設計図が出来上がり、わずか30分で図面を仕上げてしまう。
他の工場に行けば各々が工場長クラスという岡田工芸の職人をまとめあげる現場のリーダー。

岡田敏次

岡田敏次

社長・岡田正春の実弟。職人歴26年。
家具調の仏壇や神棚などを得意とし、ほとんどの仏壇を一から全て一人だけで仕上げることができる。

岡田真二

岡田真二

社長・岡田正春の長男。
次世代の岡田工芸を担う若きエース。

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