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臨済宗

臨済宗

教え

臨済宗

生まれつき備わっている尊厳で純粋な人間性(仏性)を坐禅行によって目覚めさせ、仏と寸分も違わぬ人間の尊さを把握することを教えとする。そのため、坐禅と日々の労働を重要視する。
臨済宗の禅は、「看話禅(かんなぜん)」と呼ばれ、師匠が「公案」という問題を出し、弟子はこれを頭だけで理論的に考えるのではなく、身体全体で理論を越えたところに答えを見出す。そしてこの結果を検証するのが参禅である。師匠と二人きりで対面した弟子が見解を提示し、これを師匠が確かめるという方法を採る。

本尊 特定の本尊は無い。釈迦牟尼仏を本尊とする事が多い。
脇尊 各宗派により違いあり。例)妙心寺派の場合(右)無相大師(左)花園法皇
総本山 各派本山
開祖 栄西(1141~1215)

1141年、備中国吉備津宮(岡山県)に生まれた栄西は、11歳より天台密教を学び、19歳で比叡山に入る。
当時の貴族政争の道具と成り下がった日本天台宗を立て直すべく1168年に中国に渡り、そこで日本仏教の精神の立て直しに禅を用いる事を決意する。
天台密教の本覚思想を深めた栄西は、47歳で再び中国に渡る。5年間禅の修行に打ち込んだ栄西は、帰国後九州地方を中心に布教活動を展開し、博多に我が国初の禅寺・聖福寺を建立。この頃「興禅護国論」を著し、鎌倉の北条政子の支援を受け京都に建仁寺をつくっている。この建仁寺で修行に励んだ曹洞宗の開祖・道元は、栄西を非常に尊敬し、著書で栄西に関するエピソードを数回も披露している。
1215年、政子の願いで建立した鎌倉の寿福寺で75歳の生涯を閉じた。

メモ:中興の祖・白隠

江戸期の白隠は禅問答(公案)を日本人向けに再編し、今日の臨済宗の基礎を作った。現在の臨済宗十五派はすべて白隠の法系で占められている。また、禅の教えを表した絵を数多く描いたことでも知られる。絵はおそらく独学と思われるが、製作年がわかる最も早い作である「達磨図」ではすでに巧みな画技を見せている。

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